心地よい麻痺
幼稚園の年中だから、もう17年前になる。
「お泊まり保育」は年中組の通例行事だ。自分たちで夕食を作り、自分たちで布団を敷いて園に一泊。いつもは何から何まで親にやってもらう甘ちゃん幼稚園児たちが、(たかが1泊だけれど) 親元を離れ、その日を乗り越えるとちょっぴり大人びる。
母いわく、5歳にもならない当時の俺は「いやだ、いやだ〜!」と泣きじゃくってぐずり、この行事をボイコットしようと画策していたそうだ。いまや、むしろ親もとから離れた生活の方が快適に感じるほどだが……。そんな努力もむなしく、その日の朝、腕を引っ張られながら幼稚園に連れていかれた。見慣れている赤レンガの建物に、普段とは違う威圧感を覚えたはずだろう。
夕方まで何をしていたのか、記憶はほとんどない。キリスト教系の幼稚園だったから、礼拝でもしていたのだろうか。とにかく、事件は夕方に起こった。というか起こした。
学校行事で作る料理の王道といえば、カレーライスだ。この「お泊まり保育」も例に漏れず、夕食はカレー。ちっちゃな手で初めて握るペティナイフやピーラー。たどたどしい手つきで野菜の皮を剥き、一口大に切っていく。最初は刃物が少し怖かった。だが、その辞書に「用心」という言葉のないチビ助は、いつの間にか注意力というものをどこかに置き忘れてしまったようだ。
「固ってぇ〜」。力の弱い子供にとって、ジャガイモを切るのは一苦労だ。右手にグッと体重をかけて刃を通す。ザクッ。次第にコツがつかめてきた。ザクッ。余裕も出てきて、隣の友達たちとワイワイ喋りながら山積みになった肌色の塊たちを処理していく。
ザクッ。あれ……? なんだか切った時の感触が違う。下に目を向けると、まな板が赤く染まっていた。手元を見て、その液体の源流が分かった。
ジャガイモと間違えて、自分の左手の親指を切り落としていた。
「切り落とした」というと、根元からザックリいったように聞こえるが、そこまで本格的にやらかしたわけではない。指先1〜2センチくらいの部分を爪ごと切ってしまったのだ。「うわ〜グロっ」。いや、その時はまだグロテスクという言葉なんて知らない。
「???」。何が起きたのかよく分からなかった。でも、血はダラダラ垂れているし、こりゃマズい。とりあえず先生に伝えなきゃ。
「せんせぇー、ゆびきれたー」
あらあら大丈夫?と様子を見にきた先生の顔色は一変。他の先生を大声で呼びつけ、二人で手当てしてくれた。手当てといってもティッシュで指を包むくらいだったけれど。若い女性の先生は泣き出しそうになりがら、「痛くない?大丈夫だからね!」と気遣ってくれた。
でも……、全然痛くなかった。たぶんアドレナリンが出ていたのだと思う。ふつう、そんなケガをしたらわんわん泣いても不思議ではない。けれど、痛みを感じないものだから、涙ひとつ浮かべずやけに冷静だった。どっちが子どもでどっちが大人かわからない。
送迎バスのドライバーのおっちゃんが運転する車で、近くの整形外科に急行した。そこからはまた記憶が薄れるのだが、指を切った時よりも、縫合する前に打たれた麻酔注射の方が断然痛かったことは憶えている。
「お泊まり保育」ボイコットという当初の魂胆は、意図せぬ形で達成されてしまった。
「痛みに耐えてよく頑張った!」とばかりに、その夜は父が焼肉店に連れていってくれた。肉の味など記憶にない。憶えているのは、縫い合わせたばかりの指と指先とが触れる感覚だけだ。
縫合の跡が残る左手親指の先っぽは、ぷっくりと膨らみ、いまも俺にこの日のことを思い出させる。
まあ、いまとなっては笑い話。お泊まりはしなかったけれど、あの日を乗り越えた俺も多少は成長したのだろうか。